真っ白い腕と、ジーンズから少し覗いた腹から彼岸花の刺青。
20歳になってすぐの頃だろう。
Tシャツを着て満開の薔薇の前で微笑んでいるから、6月くらいだろう。
よく晴れた平日の昼下がり。
その日私は一眼レフを提げてまちで1番大きな公園にいた。
その公園には薔薇園があって、色とりどりの薔薇は満開を迎えていた。
当時の携帯電話ではザラザラとした画質の荒い写真しか撮れなかったので、一眼レフから覗く薔薇はそれだけで立派に感じた。
ファインダーを覗いてシャッターを押す。
それだけで何者かであるような気分になれる。
何者かであると信じていた。
よく晴れた平日の昼下がり。
私の他に、薔薇を撮る老人がひとり。
どちらから話しかけたのかは憶えていない。
いつの間にかベンチに座ってほんの少しだけ話した。
老人は薔薇の前にいる私の写真を撮った。
現像したら渡したいのでまた会いましょうと言う話になった。
来週のこの時間に、あそこで。
「あと10分遅れる」
そんなやりとりをメールでいつもしていた私にとってその口約束は少し新鮮に感じた。
次の週。
となりまちの商店街の入り口にあるコーヒーチェーン店の2階へ行くと老人は1番奥の席に座っていた。
私は向かいに座る。
渡された茶封筒の中を確認すると、薔薇の前で眩しそうに微笑む私がいた。
それともう一つ。
「これ、妻の形見です。」
老人は小さな透明の袋に入った一粒ダイヤのネックレスを差し出して、私の手を握った。
「これからもこうやって会ってくれますか」
真っ直ぐに私の目を見つめて。
大人になりきれていない私にだって、わかった。
思わず目を逸らした。
美味しくもまずくもないアイスコーヒーの氷が溶けていく。
「これから友達に会う予定があるので」
確かそんなふうに適当に切り上げてさよならしようとしたら、老人は052から始まる電話番号のメモを私に渡した。
死んだ妻の形見のダイヤモンド。
私の手を握るしわくちゃの手。
ポケットに突っ込んだメモ。
どんな気持ちになればいいかわからずに携帯電話を開く。
「今何してんの?」
同じ大学の男の子にメールを送り、商店街の出口にあるお寺の境内で落ち合った。
「へー、お前ジジイにモテるんだな、遺産狙えよ、とりあえずそれはそこの質屋に持っていけよ、高く売れたらなんか奢って」
そう言って笑う彼の吐き出すタバコの煙をぼんやり見ていたら気持ちが軽くなった。
すぐにさよならをして商店街に戻り、まちで1番大きな質屋に持って行った。
緊張感のある査定カウンターにさっきもらったダイヤモンドをドキドキしながら差し出す。
「こちら買取できません」
査定はすぐに終わった。
ダイヤモンドと信じて疑わなかったそれはただのキュービックジルコニアという偽物の石だった。
私は恥ずかしくなり逃げるように質屋を出て家に帰った。
妻の形見。
なんてことをしてしまったのだろう。
大切な思い出を私はあっさりお金に変えようとしてしまった。
暫く傷ついていた。
けれどそれはいつの間にか本と服がごちゃごちゃに重なった私の汚い部屋に埋もれてどこかへ行ってしまった。
それ以来、その老人には会っていない。
今でも偶に。その写真が収められているアルバムを開く。
あの老人はまだ生きているんだろうか。
孫ほど歳の離れた女の手を握って真剣な目をする老人は確かに気持ち悪かったし一度会っただけなのに妻の形見を渡してしまうのもどうかしている。
妻の形見とかそんなの関係なしに前の女のものを別の女にあげるなんてもってのほか。
ダイヤモンドだろうがキュービックジルコニアだろうがそれは関係ない。
そんな大切なものをあっさり売ろうとした私も最悪だし、そもそもそんな気持ちになるなら初めから受け取らなきゃよかった。
老人も私も。
2人ともクズだ。
「妻の形見」よ。嘘であってくれ。
何者かであることを信じてシャッターを押していたけれど、それから暫くして何者でもないことに気づいた。
何者でもない体はあの頃に比べて随分と鮮やかで軽い。
真っ白な腕で微笑むムチムチのハタチの私。かわいいなぁ。
Author:十三花(TOMiCA )
拠点を名古屋から東京に移し、SM活動中。
まだまだ勉強中ですが、緊縛が好きです。
楽しいことが大好き。
SM以外の日常的な事も日々呟いています。