初めてSMショーを観たのは19歳の頃だった。
まるで今日みたいに冷たい2月の夜。
お酒の飲み方も、夜の遊び方もわかっていなかった。
今、完全にわかっているかと訊かれたらそれは怪しいけれどあの頃よりは随分と知っている。
場所がわからず、二つ折りの携帯電話を耳に当て場所を聞きながらビルの前に辿り着きエレベータの最上階のボタンを押す。
扉を目の前にして、中の話し声に耳を澄ませる。
黒い看板の手書きの文字をよく読み、ドアノブに震える手をかけた時のひんやりとした感触。
その日は週末だったからなのか、何かのイベントの日だったのか。初めてだからわからなかったけれど満席で人が沢山いた。
ボンデージファッションに身を包んだ初めて見る本物の女王様、鉄格子。
レースのTバックに網タイツを履いた腹の出た男性。
壁にかかる鞭、蝋燭の灯り。
その空気にクラクラしているのを必死に隠そうとしたがきっと全て見透かされていた。
艶やかな黒くて長い髪の、背の高い女王様から「入牢調書」と書かれたアンケート用紙のようなものを
「⚪︎×つけてみてね、」
と、手渡される。
名前
性別 男 女 その他
年齢
S・M ・ フェチ( )・ その他(
)
その後緊縛や鞭や蝋燭など様々なプレイが羅列されていた。
自分を 「エス」だと信じて疑わなかった大人のつもりでいる少女。
本物の「女王様」 を目の前に、気づいたら「M」 に⚪︎を付けていた。
「まだ10代? 若いねー!じゃあお酒はダメ。ソフトドリンクいろいろありますよ、何飲む?」
大学の敷地内で行われた新入生歓迎会では教授に沢山酒を注がれた。居酒屋も当たり前に平気で入れた。そんな時代だった。
SMをしている人たちは意外と真面目なんだなと驚いた。
何を頼んだか覚えていない。味がわからないくらい緊張していた。
店内の照明が暗くなる。
皆、当たり前のようにステージの方に集まる。
私もそれに倣ってステージの方へ。
「前の方、行っていいよ!」
私は左側の最前から2番目の高い丸椅子に座らせてもらえた。
BGMが大きくなる。
私に入牢調書を渡してくださった女王様は煙草を消すことはなく、吸いながらステージの方へ歩いていく。
踵の高いエナメルブーツで小さな階段を登る。
黒いエナメルはスポットライトを浴びて眩いほどに煌めいていた。
鎖を自身の体に絡める。
その蛇のような艶かしい動きに私の心臓は破裂しそうだった。
どんどん鎖を絡めていく。手を上げると脇毛が生えていて、目を見開いた。
そして宙に浮き逆さになる。斜めになる。ステージに舞う長い黒髪。
ステージ横の高くて小さな丸テーブルに置かれた蝋燭を手に持ったその時。
「ライター貸して」
最前列の男性に手を伸ばした。
え? は? 何が起こったんだ??
決して広くはない店内。目の前の光景だったけれど、ステージはとても遠く感じていた。
遠く感じていたというよりはもはやあれは映画の大画面だった。
そこからいきなり生身の人間が出てきたような感覚に陥った。
そしてすぐに火を灯して、画面に戻り、自身の太ももに真っ赤な蝋を垂らしていった。
ライターを用意し忘れてしまったのか。
女王様にも失敗はあるんだ。
私が焦っても仕方がないのにとても焦った。
そしてスポットライトは消え、拍手の中ショーは終わった。
それは今考えると「女王様のソロの自吊ショー」
というとても珍しいショーだった。
煙草を吸いながら客席から始まる。
コルセットで締められた折れそうなほどに細いウェスト。
宙に浮く人間。
画面から突然人が出てきた衝撃。
失敗の焦り。
何もかもが頭が痛くなるほどの衝撃だった。
午前4時。
店を出てエレベーターを降りる。
暗いまちはまだまだ人々で賑わっている。
どちらが帰り道なのかいまいちわからずにぺたんこのバレエシューズのような靴で歩いていたら公園が見えた。
私はその夜、あのまちの真ん中に公園があることを知った。
今になってやっとわかったけれどあれはライターを用意し忘れた訳ではない。
最前列で見ていた常連のマゾへのサービスだ。
大好きな女王様がステージから自分にだけ話しかけてくれて、ショーのお手伝いができる。
こんな幸せなことはない。
女王様のお役に立てる事ができるなんてそんな嬉しいことはない。
今ならわかる。
それから私はひょんなことからそのお店で働くことになり、あの夜気づいたら「M」に⚪︎を付けていたことからショーの受け手を経験することになります。
そのお話はまたいつか気が向いたらね。
十三花
Author:十三花(TOMiCA )
拠点を名古屋から東京に移し、SM活動中。
まだまだ勉強中ですが、緊縛が好きです。
楽しいことが大好き。
SM以外の日常的な事も日々呟いています。