後ろ手に縛り、梁に固定した上半身。両脚は閉じるように縛る。
8階にあるその部屋には大きな窓がある。
部屋の灯りをパチンと消してみた。
夜になる手前の空、まちの街頭。
明治通りを走る車の音、クラクション、遠くに消えていくサイレン、雑踏の騒めき。
夕闇。
真っ直ぐに姿勢良く立っているように見えるその後姿。
私より20以上歳上の男のひと。
庭に咲いたいいにおいのする花をくれるひと。
の、微かな呼吸が聞こえる。
私は何かを思い出した。
心臓の表面を滑らかな指先でそっと撫でられているような感覚。
そしてその指先はほんの少し爪を立てる。
血の気が引いているのか、漲ってきているのか、どちらなのかわからない。
車の走る音、雑踏の騒めき、遠くへ消えていくサイレン、微かな呼吸。
自分の心臓の音。
何かを思い出しているけれど、何を思い出しているのか思い出せなくて不安になる。
心臓の音はどんどん大きくなる。
私の目は夕闇に飲み込まれて、さっきまでみえなかったものがしっかり見えるようになる。
縄を解いて、灯りをつける。
思い出した。
私は幼い頃、誘拐に憧れていた。
こんな夕暮れ時に、まだ会ったことのない誰かが、私の知らない世界に連れて行ってくれるんじゃないか。
そうだ、誘拐を待っていた。
公園のベンチ、微かに揺れる誰も乗っていないブランコ、遠くから聞こえる誰かの声。
部屋の灯りを消したのはほんの数分にも満たない。
だけど思い出を思い出せずに記憶の糸を探っていたその時間は、永遠の手前。
- 2018/04/28(土) 03:38:32|
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